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再読の坊っちゃん
2012 - 02/18 [Sat] - 16:27
漱石先生…!愛媛ディスりすぎっす!
日本語として、こういう↑表現には首をひねるのですが
いかんせん、再読直後の感想にはこのような言い方がしっくりきました。
東京からほとんど出たことのなかった坊っちゃんからすれば
愛媛(というか箱根より向こう)は田舎に思えたのかもしれませんが…。
「不浄の地」とまで言う事はなかろうよとね。
むしろ北海道はその頃まさに開拓中でだな…!田舎どころの騒ぎじゃなくてだな…!
『坊っちゃん』が描かれたのは漱石が松山で教師をしていた何十年も後ですし
小説の題材にするくらいだから、愛のあるディスりだと思いますがね…!
まずはそんな事を思いつつ。
ざっくりとあらすじ。
東京の物理学校を卒業した「坊っちゃん」。数学教師の口があり
愛媛県は松山の中学校に赴任します。そこには腹黒校長(狸)、
趣味悪シャツ愛用の教頭(赤シャツ)、腰ぎんちゃく(野だいこ)、
茄子のうらなり(うらなり)や毬栗坊主数学教師(山嵐)
…という濃い面子が揃っていました。
坊ちゃんは果たしてここで無事教師の職を全うできるのか!?
いやできるはずがない!(反語)
結局1ヶ月ほどで「坊っちゃん」は東京に帰ることになります。
その短い間に、生徒にストーキングされてみたり宿を追い出されたり
画策にはめられたり…。まあ起こるわ起こるわアホな色んな出来事。
最後は、理不尽な権力に力業で一矢報いた…と言えなくもないのですが
結局は辞職ということになりますし。終始江戸っ子のべらんめえ口調で展開される
威勢のいい小説ですが、敗者を描いた小説であることに間違いはないでしょう。
負け惜しみも大いに含まれているタイプの。
また坊っちゃんは江戸っ子、最終的に一緒に失職した山嵐は会津出身ということで
両方とも佐幕派かつラストは敗北というところが、時代背景的にも切なくなります。
さて、そして今回1番思ったことは
やばい、清萌えるわww
です。
「清」というのは…「坊っちゃん」のばあやさんです。容姿に関しては
清は皺苦茶だらけの婆さんだが~
という記述があるので、まあ老婦人でしょう。両親・兄と不仲だった
坊っちゃんの唯一の理解者ともいえる存在で、実の甥と暮らすよりも
坊っちゃんと暮らしたいと言うほど坊っちゃんラブです。
坊っちゃんにしても
親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
と述懐してますし。何という相思相愛。
松山に赴任する時は、駅のプラットホームで
「もうお別れになるかもしれません。ずいぶんご機嫌よう」と小さな声で言った。
目に涙がいっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。
ですし、赴任中に清が寄こした手紙も下書き4日・清書2日・長さは紙四尺(120cm)あまりという大作。
再会のシーンも
おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと
飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと
涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、
東京で清とうちを持つんだと言った。
…。
下手な遠距離恋愛ストーリーよりラブラブです本当にありがとうございました。
だからこそ、ラストは泣けたんですが…。
個人的に思うことですが『坊っちゃん』にせよ『吾輩は猫である』にせよ
さくさく読める小説の結末に、漱石自身の死生観を匂わせる描写を、しかも
エピソードに交えてざっくり挟みこまれると、浅いんだか深いんだか
よくわからなくなってしまう、「やられたぜ感」が半端ありません。
ある見方をすると、ラストに向けて筆が走りすぎたきらいもあるし、
しかし結末として必要な「死」できっちり物語を締めたとも言える。
『坊っちゃん』を清と坊っちゃんの絆の物語として読むならこの結末の死は
必要不可欠でしょうし。
ちなみに、この清の墓は実際に東京の養源寺にあります。小日向…というか本駒込。
清、というのは漱石の友人・米山さんの実際のお婆様がモデルなのです。
清という人物の設定自体、由緒あるお家出身ながら
明治維新で零落した故、奉公に出たというメイド設定です。
そういう点で『坊っちゃん』は、時代を先取りしたメイド小説という見方もできる…!
あと身分差、年の差に遠距離ラブストーリーものとも…。
調べてみたところ「清萌え」という読み方も確立しているそうな。流石だぜっ…!
しかしですね…!『坊っちゃん』の登場人物が全員ゲイであるという
解釈まであるのには参りました。
『こころ』はまだ…そういえなくもない…とは思いますが…。
勘弁してくれ、ウホっ…!
↑集英社文庫版。表紙は東村アキコさん!
このほど、夏目漱石の『坊っちゃん』を再読しました。学生時代以来約10年ぶり?
同じ本でも、1回目に読んだ時と再読した時で感想が異なってくるのは
何故でしょう。結末を知りつつ読むからなのか、それとも自身の成長や
嗜好の変化によるものなのか。不思議なもんです。
学生時代に読んだ時は、こりゃ明治時代の教師びんびん物語ぽいねー。
…という感想した抱かなかったのですが、今回はまったく違う読後感でありました。
追記以降、何ちゅうかこう…みたいな再読感想を綴っております。
ご興味ある方はよしなに。
ちなみに再読のきっかけ
↑この1コマ
漱石先生…!愛媛ディスりすぎっす!
日本語として、こういう↑表現には首をひねるのですが
いかんせん、再読直後の感想にはこのような言い方がしっくりきました。
東京からほとんど出たことのなかった坊っちゃんからすれば
愛媛(というか箱根より向こう)は田舎に思えたのかもしれませんが…。
「不浄の地」とまで言う事はなかろうよとね。
むしろ北海道はその頃まさに開拓中でだな…!田舎どころの騒ぎじゃなくてだな…!
『坊っちゃん』が描かれたのは漱石が松山で教師をしていた何十年も後ですし
小説の題材にするくらいだから、愛のあるディスりだと思いますがね…!
まずはそんな事を思いつつ。
ざっくりとあらすじ。
東京の物理学校を卒業した「坊っちゃん」。数学教師の口があり
愛媛県は松山の中学校に赴任します。そこには腹黒校長(狸)、
趣味悪シャツ愛用の教頭(赤シャツ)、腰ぎんちゃく(野だいこ)、
茄子のうらなり(うらなり)や毬栗坊主数学教師(山嵐)
…という濃い面子が揃っていました。
坊ちゃんは果たしてここで無事教師の職を全うできるのか!?
いやできるはずがない!(反語)
結局1ヶ月ほどで「坊っちゃん」は東京に帰ることになります。
その短い間に、生徒にストーキングされてみたり宿を追い出されたり
画策にはめられたり…。まあ起こるわ起こるわ
最後は、理不尽な権力に力業で一矢報いた…と言えなくもないのですが
結局は辞職ということになりますし。終始江戸っ子のべらんめえ口調で展開される
威勢のいい小説ですが、敗者を描いた小説であることに間違いはないでしょう。
負け惜しみも大いに含まれているタイプの。
また坊っちゃんは江戸っ子、最終的に一緒に失職した山嵐は会津出身ということで
両方とも佐幕派かつラストは敗北というところが、時代背景的にも切なくなります。
さて、そして今回1番思ったことは
やばい、清萌えるわww
です。
「清」というのは…「坊っちゃん」のばあやさんです。容姿に関しては
清は皺苦茶だらけの婆さんだが~
という記述があるので、まあ老婦人でしょう。両親・兄と不仲だった
坊っちゃんの唯一の理解者ともいえる存在で、実の甥と暮らすよりも
坊っちゃんと暮らしたいと言うほど坊っちゃんラブです。
坊っちゃんにしても
親身の甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
と述懐してますし。何という相思相愛。
松山に赴任する時は、駅のプラットホームで
「もうお別れになるかもしれません。ずいぶんご機嫌よう」と小さな声で言った。
目に涙がいっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。
ですし、赴任中に清が寄こした手紙も下書き4日・清書2日・長さは紙四尺(120cm)あまりという大作。
再会のシーンも
おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと
飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと
涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、
東京で清とうちを持つんだと言った。
…。
下手な遠距離恋愛ストーリーよりラブラブです本当にありがとうございました。
だからこそ、ラストは泣けたんですが…。
個人的に思うことですが『坊っちゃん』にせよ『吾輩は猫である』にせよ
さくさく読める小説の結末に、漱石自身の死生観を匂わせる描写を、しかも
エピソードに交えてざっくり挟みこまれると、浅いんだか深いんだか
よくわからなくなってしまう、「やられたぜ感」が半端ありません。
ある見方をすると、ラストに向けて筆が走りすぎたきらいもあるし、
しかし結末として必要な「死」できっちり物語を締めたとも言える。
『坊っちゃん』を清と坊っちゃんの絆の物語として読むならこの結末の死は
必要不可欠でしょうし。
ちなみに、この清の墓は実際に東京の養源寺にあります。小日向…というか本駒込。
清、というのは漱石の友人・米山さんの実際のお婆様がモデルなのです。
清という人物の設定自体、由緒あるお家出身ながら
明治維新で零落した故、奉公に出たというメイド設定です。
そういう点で『坊っちゃん』は、時代を先取りしたメイド小説という見方もできる…!
あと身分差、年の差に遠距離ラブストーリーものとも…。
調べてみたところ「清萌え」という読み方も確立しているそうな。流石だぜっ…!
しかしですね…!『坊っちゃん』の登場人物が全員ゲイであるという
解釈まであるのには参りました。
『こころ』はまだ…そういえなくもない…とは思いますが…。
勘弁してくれ、ウホっ…!
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